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検査の結果・・・。 [日記]

毎日更新は大変ですね。。

 実は血液検査の結果がでまして。。。

「貧血」でした。。

しかももう鉄分がゼロに 近い位。

どうもなんだかめまいがしてしんどいと思っていました。

詳しい検査もいろいろすることに。。。

ではわかったらまたご報告をしますね。

みなさんもお体大切に。。 


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その後の経過はどうなったか・・・その26 [日記]

技術的にも設備的にも

最先端の病院で

父は食道ろうの手術を受けることになった。

看護師が2時間おきに巡回し

4人部屋と言ってもかなり広くて負担に感じない。。。

しかし以前からの歯ぎしりが酷く

周りに迷惑をかけていた。

歯科の先生に見てもらい

マウスピースをつけてもらった。

保険適用なので

確か5千円かからない位で作った。

施設に来てもらっている歯科医師はだめだ。何もしてくれないでいた。

そして担当の医師から

口の中が非常に汚れていたことも告げられた。

施設選びについて問われたら

真っ先に言うと思う。

「口腔ケアがちゃんとしているところ!」と

父のいた施設は

24時間看護師常駐といっても

夜間は手が少なかった。

どこもそうかな。

夕食の時間に訪ねたら

10人食べているところに

介護士一人くらいしかいなくて

介護士さんは走り回っていた。

まともに歯磨きをしたことはあったのか。

そういえば

歯ブラシの交換を告げられたのは1年後くらいだ。。

ばい菌が口の中にあると

誤嚥した時

体の中にばい菌が入りこんで

病気になったりするそうだ。

もっとよくみてあげればよかった。。

そういえば

ここのところ良い介護士さんや

ケアマネージャーさんが

数人辞めていったことがあった

何かあったのだろうか。。

手が無くて外部から頼んでいる介護サービスもあった。

うーん。

ケアマネージャーは施設に留まる事を勧めていた。

しかし

食道ろうになると話は別だ。

病院の相談員さん、内科の担当医と話した。

この病状だと

まず老人保健施設や特別養護老人ホームは

受け入れしないそうだ。

 あとは看護師常駐の今の施設か

療養型の病院のどちらか。つまり終末まで診てくれる病院だ。

数ある施設の中で

よそを探すのはもう不可能に近い。

ため息をついた。

病院は決まるまで入院してもよいというが

施設や病院に2重払いが重くのしかかっている。

何しろ最先端なので

洗面具、着替え、おむつなど

入院に必要なセットは1日一定の価格で毎日支給してくれる。

必要なものはほとんどいや全く買わずに済んだ。

高いけどあまり来られないので仕方なかった。

「1年半前は介護2!?」

医師が驚いていた。

ほんのわずかな期間で

寝たきりに近い状態になった父。

施設が辛かったのかどうか。

「やっぱり家はいい。」

そう言って座イスに座ってテレビを観ていた父を思い出した。

相談員さんが

療養型の病院についていくつか提案してくれた。

施設はもう辞めようと決めていた。。

その続きはまた明日(かもねと言っておきましょう。。)

おやすみー。


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結論としてはどうなったのか・・・?その25 [日記]

なかなか更新できなくて2日空いてしまいました。<m(__)m>

すみません。<(_ _)><(_ _)> 

父は体が衰弱していて食べ物を受け付けず

点滴の状態が続いていた。

いまのままだと命の危険がある。

そこで胃に穴をあけて栄養剤を送り込むという

胃ろうの手術を勧められた。

しかし父は問題があった。

腸が胃の上に乗っかっているそうだ。

そうすると手術の時に腸を貫通する恐れがあり

出血などで危険な状態になるという。

はー、どうするのか。。

それでね、

別の方法として

のどにチューブを通して食道に通し

栄養剤を注入するというもの。

食道ろうですね。

だんだん食べられるようになってチューブもはずれ

穴のあいた喉も埋まっていくという。

なんか最先端の病院にしかできないらしい。

うーーん。もうお任せするしかないですね。

寝たきりになってしまい会話も難しい。

それで数日後に手術をすることになった。

そうすれば2週間くらいで退院になるそうだ。

救急病院なので

そんなにながくはいられないと言っても

その先はどこに行くか。

在籍している施設はどうするか。

その続きはまた明日(の予定)

ではまたー。


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そしてそのあとはどうなったのか・・・?その24 [日記]

父親は

脳梗塞の疑いがあったが

甲状腺の機能その他

体全体が弱っていて食べ物を受け付けなかった。

点滴の状態が続きながらも

少しづつ回復に向かっていったが

原因は脳梗塞ではないことがわかった。

脳梗塞の症状はあったが

だいぶ前に発症していて

今回の衰弱とは関係ないという。

それで脳神経外科のイケメン医師から

内科に変わることを告げられる。。

(ちょっと残念?なんちゃって)

いろいろな検査をしてみると

原因は老衰によるものだという。

まだ80歳なんですけど

もう80歳という考え方もある。個人差ですかね。。

それで

食べられない状態が続いているので

胃ろうの手術か

鼻からチューブを入れている今の状態で栄養剤を注入するか

点滴のままか

という選択を迫られた。

やはり楽なのは胃ろうだろうか。

胃に穴をあけ

チューブを入れて栄養剤を入れるのだ。

今鼻からチューブを入れていて

あまり喋れなくて苦しそうだ。

度々はずそうとするので

手袋みたいなものをはめられている。

それで手術の承諾をすることになったが

そこで大問題が・・・・!!

続きはまた明日(の予定)

ではみなさん

おやすみー!!


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そのあとはどうなったかというと・・・。その23 [日記]

緊急搬送された病院は

とても近代的で外来と病棟の建物が2つに分かれていた。

ホテルのようなつくりだ。

父はICUにいた。

ものすごく広い部屋にいくつかのベットがあり

そのうちのひとつで

静かに寝ていた。。。

脳梗塞の疑いがあるようだが

しばらく検査をするそうだ。。

今のところ点滴だけで

何も食べられないでいた。。。

呼び掛けたらいけないと思って

話かけなかったけど名前を呼ぶとなんとか応じるそうだ。

脳神経外科の担当医の話だ。。

髪の毛が今風で

マスク越しに見ても

イケメンぶりがわかるのでびっくり。。

ばかばかっ。こんなときにっ。

何言ってるんだろう。。 

駅で買ったお弁当を

病院の自動販売機の前でようやく食べられたのは

2時半を過ぎた頃だった。

元にいた施設に電話する。

ケアマネージャーがたびたび変わるので

話に要領を得ないっ。

ものすごく苛立ってしまった。

施設に在籍したままの入院かどうか?

2か月位ならそのまま在籍して戻ってくることが多いとか。。

危篤であってもその後良くなってまた退院というパターンもあるそうだ。

しかし施設と病院での支払いが二重になるのだ。。

施設を退去したら

退院後の受け入れが無くなるということもある。

父が出ると

すぐ次の入居者が決まるだろう。

それくらいな感じで

人気のあるところだった。

今はまだ

考えられないでいた。

誰にも相談できない。

助かるかどうかわからない。

このまま1週間ほどこの状態であれば

死んでしまうそうだ。

どうしたらいいんだろうか。。

延命措置について

医師に尋ねられた。

危篤状態の時に

心臓 マッサージなどで延命を続けると

ろっ骨6本折れる位

苦しい状態になるのだそうだ。。

生きていてほしいけど

とても可哀そうだ。。 

死に目には会えないかもって言うこと

それでも

延命しないという書類に

サイン捺印した。

すっかり夕方になっていた。

ひとまず東京に戻ることになる。。

ではまた明日(の予定)

おやすみー。


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じゃあ今年のお正月は何があったのかさかのぼって書いてみよう。その22 [日記]

珍しく引き続き書いています。

ここのところ疲れて

左手の感覚が無いんですよね。。

3連休になるので

少し休めば良くなるかもしれません。

昨年は元旦に母親の骨折があったので

今年もなんとなく覚悟していました。。

十日過ぎまでは何事もなく

次女とのんびりと買い物をしていたその時

携帯の電話が鳴った。

数回同じ着信履歴があった。

お昼少し前。一月の半ば頃でした。

今度は父親だった。

朝、言葉にろれつが回らなくておかしいので

救急車で緊急搬送されていたそうだ。

付添の介護士さんからの電話だった。

ああっ・・。

ものすごく後悔した。

冬頃

右手がしびれがあって利かないと

介護士さんから聞いていた。

しかし丁度転職したころで忙しく

かかりつけの内科医の指示を待って

様子を見ることにしておいたのだ。

要するに放置してしまっていた。

内科医が週2で来るので安心していたのですが

こういうことってよく原因がわからないんだそうだ。

だから早く整形外科に連れて行けば良かったのだ。。

たまに来て

十数人いる老人の様子などいちいち把握できないのもわかる。

血圧も脈も正常だったそうだ。

さてそうなると

無茶苦茶準備が早い私だ。

子供達に昼食の準備を託して

丁度帰省していた主人は全く当てにせず(!)

「お金貸してー。」

だけ頼んで

新宿まで向かった。

やっぱ東京駅まで行って新幹線に乗ることにしよう。

駅の窓口で切符の支払いをしていると

また電話が・・・・。

ああっ・・・。もしや・・・・?

駅の窓口にいたからすぐには出られなかった。

しかし鳴り続ける携帯の着信音・・・・。

しばらくぼんやりと見つめてしまっていた。

まさかまさかまさかまさか。。。

間に合わなかったのか??

聴きたくない。聴きたくない。聴きたくない。

電話に出たくないんだ。

やめてくれやめてくれやめてくれよっ。。

もうその場で倒れそうだった。

しかしとうとう

電話に出てしまった。

付添の介護士さんからだ。

「なっ・・・何?]

思わずタメ口で震える声で話した。。

「私は一旦帰りますがいいでしょうか?」

はあーー。なんだっ。ほっとした。。

「もちろんです。ありがとうございます。」

丁寧にお礼を言った。

それでもって

お昼も食べないまま

新幹線に飛び乗った。

続きはまた明日(の予定)

では皆さん良い休日をお過ごしください。。


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お正月からの出来事を昨年からさかのぼって書いてみた。その21 [日記]

更新頑張っています。。

お正月っていうとさ、

あっそうだっ。

昨年からの話をしましょうか?

昨年は母が元旦に病院のトイレで大腿骨骨折した・・。深夜に発見されたんですよね。

それで認知症の病院から

整形外科のある専門の病院に緊急搬送されましたよね。。。

あれは無茶苦茶大変でした。。

搬送された病院ははものすごい山奥にあるので

入院のために用意するものは

到着したその日に準備するとなると結構大変だった。

タクシーを頼み割と近くにあるショッピングセンターで爆買いし、

また病院までタクシーで戻ったのです。。

おむつも用意しなければならず

毎回、行商人のように

東京から通販で買ったそれを

担いで

新幹線で在来線に乗り換え

JRからさらに私鉄に乗り換えて

母のいる病院に向かったものでした。

大腿骨は

昔は骨折すると寝たきりでしたが

今は

人工骨っていうもので

代わりに骨を交換して

歩けるようにはなるそうです。。

「手術を希望しますか?」

はっ??

拒否したら

母は歩けなくなるのだ。。

そうしたら確かに

今よりは悪さをしなくなるけどね

そんなこと、できない。。

ここまできたら元気になって欲しい。。

そんな思いで手術を希望しました。。

こんなことになったのは

私のせいだと

自分を責めた。

元旦にはお見舞いするはずだった。

外泊したいと

本人は言ったが

もう家には誰もいない。

私ひとりでは

どうにも面倒見られない。

医師には無理だと言っていた。

せっかくのお正月。

可哀そうなことをした。。。

母は1か月の入院でまた元の病院に転院した。。

移動の介護タクシーで

疲れた私に

運転手さんがとても気遣って色々と話してくれた。

この病院で良かったとも。。

帰りに

「頑張ってください」と励まされた。

ありがとう。

御縁があったらまた利用します。。

元の病院は

今度はおむつ持ち込み禁止だった。

しかし

あまりにたくさん

行商人のようにおむつを抱えた私に

看護師さんが気の毒がってくださって

特別に余ったおむつを使うこととなった。

やったー。

捨てるカミあれば

拾うカミもいるのだ。。

それでもまだ

たくさん倉庫におむつが眠っている。。

もう

使うことがないことを

密かに祈っている。。

という感じで昨年のお正月の話をしました。

さて今年の正月も

グダグダでした。。

続きはまた明日(の予定)

ではおやすみー。


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毎日書いてみようかな。。 [日記]

今日読者数が1つ減ってしまった。

 更新していないので飽きられたのかなとおもっていたら

長年親しんできたブロガーさんが

いなくなってしまっていた。

どうしたのかな。。

素敵な写真をたくさん載せてくれていたのにね。

お正月ぐらいから

更新が止まっていた。

みなさん色々と事情があるのですね。

元気になって

また戻ってきてくれたらなと。

遠いところからお祈りしています。

Yさん、今までありがとう。。

ゲストでよかったら

また見に来てくださいね。

待ってまーす。

私も頑張って更新頻度を上げてみます!!

今日は朝から勤務して午後は熟睡していました。

ああ・・・。

また明日仕事かっ。

昨日はもう

帰っちゃおーかなと思ったくらい。

理不尽なこともぐっと我慢してる私だ。

しかし食べて寝たら元気になる私です。

3連休のうちの1日で

両親のところにも行ってきます。

皆さんは充実した毎日でしょうか?

明日も頑張って書いてみることにします。

ではオヤスミー。


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またさらに追い打ちをかけて大変なことが・・・。 [日記]

私の仕事はいまの時期

一年中で一番忙しい時期なんですよね。

昨年秋に勤務をはじめたから

今回が初めての体験だ。

もうだめだ。

時々落ち込む。

終わってから涙ぐんだりする。

この月は辞めてしまうヒトが多いのだそうだ。

だからとっても励まされる。肩をたたかれる。

1年位空きがあって

誰も入っていなかった所だ。。。

わかるわかる。わかるよ。

来月までメンタルが持つだろうか。。。

ある日。

最高気温25℃となった

ちょっとした暑い日があった。

いそがしくって

昼食もあまり食べずに

水分もそこそこだった。

のどが乾いて仕方ない。。

ちょっと休んで

麦茶を飲ませてもらった。

でも間に合わなかった。。。

だんだん心臓の鼓動が速くなって行った。

「あっ。これ熱中症だな。。」

次から次へと仕事が

雪崩のように迫ってきたときに

「駄目ですーー。」

と言って

休憩室に行って横になった。

なんか意識がはっきりしなくて

ぼんやりする。

30分位休みましたが

やっぱり帰ることにした。

エライ人、3人から

事情を聞かれるため

呼び出された。

3人とも

タバコ吸いまくって

煙充満だ。

(うわっ。これはヤバイ。余計心臓がバクバクしてきた。)

「大丈夫か?」

(大丈夫じゃないって^^あなた方のせいで余計おかしくなったじゃん。心臓バクバクだよっ)

「あっ。はい。でも医者に行くので帰らせてください。」

息を止めながらゼイゼイと

事情を話した。 

翌日

内科に行って

血圧、脈とも異常がないと分かった。

ただの熱中症ですね。

ついでに血液検査とか

心電図もお願いした。

普段疲れると

動悸が酷くなるんですよね。

「おー、素晴らしい!!」

医師が叫んだ。

「医学書の教科書に載るような見事な心電図です。」

あ、そう??そんなに??

美しいとまで言われました。(苦笑)

今度血液検査の結果が出たら

皆さんにお伝えしましょう!!

結論:外見より心電図の方が美しいことがわかった私でした・・・。


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恐れていたとうとうこの日がやって来た・・・?その20 [日記]

ある日、と言ってもついさっきの出来事だ。

職場に長女から電話がかかってきた。

2つ目の職場の連絡先は教えていなかったので手を尽くしてくれたらしい。

引き出しの中に職場の地図があったのだ。 

母親が重体なんだそうだ。

とうとう・・・・。

もうだめか。

あれ、でも昨日会った時は元気だったじゃないか。

お別れのあいさつそこそこに帰ってしまって後悔した。

認知症も進んで洋服を全部引っぱり出したりするので

衣装タンスは壁に向けて使えないようにしてあった。

顔色もよく食欲はありそうだった。

病院の食事の時間直前に帰ったのは夕方六時。

帰宅して家に着いたのはは夜10時だった。

翌朝8時の出来事だ。

母は朝食も口にせず

急に意識が無くなって

眠り始めた。

いびきをかいていて

看護師の呼びかけにも応じない。

少し反応があるようで

こん睡状態ではなさそうだ。

検査も異常はない。

脳梗塞の兆候かどうか。

別の病院の転院なども示唆され

とにかく早退して自宅に向かった。病院へ向かうための準備だ。

明日の職場(別のところ)各方面に連絡し、当分休むかもしれないと。

駅から自宅に向かう道で

涙が止まらなくなった。

とうとうとうとうとうとう。。。

もうだめだ。

色々あって疎遠になっていた親戚にも知らせた。 

ホテルに泊まる支度なのかどうしようか。

とにかく携帯の充電と

保険証、印鑑とお金。転院のための袋など。

必要最小限で行くことにした。

子供達に頼んだ。しばらく留守にするかも。

またあの時のようにね。

いざという時のために各自泊まれる準備もしておくように頼んだ。

とりあえず某私鉄に飛び乗った。

やばっ、急行に乗り換えるのを忘れた。

それくらい動揺していた。 

5、6駅を通過したところで

病院からの電話が・・・・。

ああ・・・。

間に合わなかったのか。。

「電車なので降りてから電話します。」

看護師の声は焦っていた。

「先生からお話があります。」

とにかくお話の一点張りだっ。

だめならだめって早く言ってくれ。

電車にしゃがみこんで

震える声で聞いていた。

当直の医師は明るい弾んだ声だ。

「いやーどうも薬を間違ったようで。」

はっ??

朝ご飯前に「眠くなる薬」とやらを

母に飲ませてしまったそうだ。

そりゃー意識がなくなるわけだわ。

とりあえず異常はなく元気だそうで

また逆方向の電車で

家に戻った。

がくっ。ホントヤバかった。

病院、何度も謝罪した。

思わず笑っちゃいました。

でまた職場各方面に謝った。

親戚も冷たい反応でガシャンと電話を切られた。

休日の対応は看護も忙しいので仕方ないけどね。

命にかかわることはさ、

気をつけてもらいたいのね。

普段より3時間も早く帰れた私だ。

ここのところ二つの仕事で疲れていたし

忙しくて泣いてしまうほどだったから

母親が

「休みなさい」

と時間をプレゼントしてくれたのかもしれない。

そう、介護に向かう時間はちょっとした休みの時間でもあるのだ。

新幹線の中で食べる

牛めし弁当は最高だ。

家事のことは考えなくていいからだ。

この日

正確に言うと

今日ですね。

おかげさまでぐっすり寝ることができたよ。

お母さん、ありがとう(?)

とはからずしも感謝してしまった私でした。

で、もう少しさかのぼって

続きを書きます。

ではまた。

マジで疲れたー


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